熱田神宮に行ったら、いきなり土偶を発見してビックリした‼
どうして、熱田神宮に土偶が?そもそもなにか知りたいな。
今回は、このような疑問にお答えします。
- 熱田神宮にある土偶は「眼鏡之碑(いしぶみ)」だった!
- 熱田神宮へ行って遮光器土器を見に行こう
伊勢神宮と同じく、”三種の神器”が奉ってある「熱田神宮」
有難いことに、愛知県に住む私は、とても通いやすい場所のため、パワーをいただきによく参拝しています。
実際に熱田神宮を参拝中、この土偶に遭遇した人も多いでしょう。
でも「どうしてこんなところに、土偶があるの?」と聞かれると、答えられない人のほうが多いかもしれません。
恥ずかしながら、私も答えられない一人でした。
熱田神宮の境内にある土偶は「眼鏡之碑(いしぶみ)」だった!
熱田神宮の南門から足を踏み入れると、本宮につながった参道があります。
本宮に向かって参道を歩いていくと、ふと左から視線を感じました。
「な・・・なんじゃこりゃ~‼」
「ど・・・土偶!?」
なんともミスマッチなこの銅像は、遮光器土偶で「眼鏡之碑(めがねのいしぶみ)」と記載されていました。
よく見ると、眼鏡をかけています。
”遮光器”とは、縄文時代に使われた眼鏡のことです。
この「眼鏡之碑(めがねのいしぶみ)」は、1982(昭和57)年に名古屋眼鏡商業協同組合と眼鏡碑顕彰会が眼鏡をした土器として、奉納されたとのこと。
玉祖命(たまのおやのみこと)を崇拝する名古屋眼鏡商業協同組合の60周年記念に、顕彰碑(けんしょうひ)※として制作されました。
この遮光器土偶は、青森県から出土した土偶で、めがね(遮光器)をかけているような姿から名付けられました。
宇宙人が宇宙服をきているようだとも、言われているよ。
※顕彰碑とは、功績などを広く世間に広め、更なる繁栄を祈念するために奉納する石碑のこと。
津田庄之郎書ってなに?
「眼鏡之碑(めがねのいしぶみ)」の向かって左側に小さく「津田庄之郎書」と掘られているのがわかりますよね。
なんとなく、「津田庄之郎の書(書いた)」ってことかなぐらいは想像できますが、では「津田庄之郎」さんは、どんな人物なの?って疑問が残ります。
調べてみたところ…情報が全くありませんでした。
(なんせ、熱田神宮の公式サイトにも載ってないぐらいですから。)
興味がある人は、一度熱田神宮で直接確かめてくださいね。
熱田神宮へ行って遮光器土器を見に行こう
熱田神宮の南門近くにひっそりと建っているいる「眼鏡之碑(めがねのいしぶみ)」は、どちらかというと本宮から離れた場所にあるため、気付かない人も多いでしょう。
「神聖な場所にこんなものが?」と意外なものを見つけるのも、面白いかもしれません。
熱田神宮へのアクセスは、地下鉄名城線の「熱田神宮西」駅から2番出口を出てすぐです。
地下鉄出口を出ると、多くの木が茂り圧巻の景色が広がります。
他にも信長ゆかりの建造物も
せっかく熱田神宮へ参拝に来たのなら、信長ゆかりの建造物もみてください。
建造物と言われると、建物を想像しがちですが、ここでは「塀」です。
「へ~。」(すみません。汗)
この塀は「信長塀(のぶながべい)」といわれる塀で、日本三大土塀の1つです。
信長が塀を熱田神宮へ奉納した詳しい経緯は、立て札(写真に写っている立て札)に記載があります。
簡単にいうと「戦の勝利祈願をしたら、勝てたからお礼に塀を送りま~す」ってこと。
永禄3(1560)年に桶狭間出陣するとき熱田神宮に願文をだしたところ、大勝利となったので、お礼として塀を奉納したとのこと。
瓦を厚く積み重ねて、土・石灰・油で塗り固めて作られています。
場所は・・・境内を探してみてね♪
まとめ:やっぱり熱田神宮はすごかった!行くとパワーもらえるよ
熱田神宮で突如遭遇した遮光器土偶の名前の由来が、おもしろい!
そして、遮光器土偶が建立された経緯も、意外というか熱田神宮とは結びつかないイメージでした。
地元民でよく行くのに、まだ知らないことが出てくるのは楽しい。
パワースポットとしても有名な、熱田神宮で新しい発見をしてみてはいかがですか?
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